うちの浅澤家は、もともと福井県の出です。
死んだおじいさん、おばあさん、全員が福井出身です。いまでも福井に多い姓です。うちの系統の浅澤家で本当の本家(私のおじいさんの実家)は今も福井です。
我が家では、福井県がニュースで出たり、旅番組で取り上げられたりすると、福井の親戚に電話をかけて喜んで伝えています。そんなに福井がいいなら、帰ればいいじゃんと父親にいうと(父は福井出身でお婿さんです)、もう帰りたくはないそうです。夏は暑いし、冬は雪がたいへんだし・・・・東京はありがたいと。
でも新聞で「倹約率第一位は福井県」「住みやすさ第2位」だとかの記事を見ると喜んでいます。それなら福井へ帰ればいいのに。・・・

あと、大阪市に浅澤神社というのがあるそうです。
今度出張のときにでも行って見ようと思いつつ、なかなか時間がなくていけていませんが。これは近世では関係ないようです。


宇野重吉と親戚だ(自称) 
そしたらルビーの指輪と親戚かも
ちなみに、祖父の出身地である福井県のその村は、亡くなった俳優・宇野重吉さんも同じ村出身だそうです。実はあの人はうちのじいちゃんに似ていました。頬骨が高くてその下の部分がこけているところがそっくり。名前は違いますが二人とも同じ村なので、きっとどこかで血縁関係があると思います。

私も高校生のころ、寺尾聡(宇野重吉の息子さん)とそっくりだと友人に言われていました。ルビーの指輪がはやっていたころです。たしかにサングラスをかけるとよく似ています。体型と髪質と「ほくろ」までがよく似ています。顔の左右は逆ですが、ほぼ同じところについています。高校のときに友人がバイクで走っていたら、ジャガーに乗った寺尾さんと並んだそうです。「浅澤にそっくりだった、やっぱり似てるよ」といわれたことがあります。だから寺尾さんには親近感を感じます。歴代の浅澤家には、体がほっそりして背が高めの男性が多いです。

(17歳当時の気取った写真)



今でも福井に本家があります。
このあいだの水害で足羽川の堤防が決壊した、まさにあの箇所です。
たしか小学生のときに訪問して、あの堤防でオケラを探した記憶があります。
私のおじいさんが次男坊だったため、関東大震災の前に福井から上京してきて、自転車屋をやっていました。
それからもう??年以上、東京に根付いています。浅澤商会という自転車屋でした。

浅澤家は自転車屋とオートバイ屋だった
詳しくはこちらを

浅澤商会自転車部
中央めがねのおじいさんが、私の祖父
右がお婿さんである私の父、あとはお店の人達
50年くらい前
 

0年前、祖父の時代、我が家はホンダのオートバイ屋さんでした。ホンダ4輪初期の頃は、空冷エンジンの車も売っ
ていた。(そんなのは他にポルシェしかない) 軽トラックもエンジンがなぜかDOHCで、異常に速かったと聞いていま
す。(トラックにそんな必要があるのか?不思議なメーカーだと思う) スーパーカブが発売されたとき、祖父と父が発
表会に行きました。東京の販売店一同でホンダさんにホテルへ招待され、故本田宗一郎さんから「これを売り出しま
すから皆さんよろしくお願いします」と言われた、と何度も聴かされて育ちました。その前は、ホンダに押されて倒産し
てしまった山口自転車の販売会社だったらしい。

 
左 ヤマグチのバイクにまたがる父
右 スーパーカブ号の値段は当時55,000円。

198,000円?
おそらく今の100万円くらいの車に相当する高額な乗り物か


昔はオートバイ屋だったからいろいろな写真が残っている。祖父がアメリカ製のインディアンに乗っていたと聞いて驚
いた。しかしお店の人が事故でつぶしてしまったらしい。今あったら鑑定団ものだったのに。父親が乗っていたらしい
が、サイドカーもあったらしい。惜しかった。その後、車の修理屋に事業転換したが、今はそれも辞めてしまい、損保
だけ残ってます。


検索エンジンで探すと、たいてい福井県の浅澤さんがでてきます。歯医者さん、獣医さん、プロゴルファーの人、武生市の運動でよく活躍している中学生など、いるんですね、浅澤姓の人が。びっくりしました。
一人、大阪府の産業研究所の人が引っかかってきていますが、これは私の親のいとこにあたる方です。そうとは知らずにこの間、仕事で産業研究所の図書館へ行って営業してきてしまった。「こちらの浅澤さんの親戚筋のものです」といえば、成約もらえたかも。


福井は暑い
また先日、仕事で福井県武生市の仁愛大学というところへ行きました。武生は暑かった。父親から「武生は暑いぞー」と言われていましたので、予想はしていましたが。東京はもちろん熱帯夜連続40日突破!とかいって暑がってますが、そういう暑さではありません。まとわりつくような湿度のこーい暑さです。駅からホテルまで30分歩いたら、暑さでへとへとになりました。夜の9時に到着して駅で食事しようとしたら、全部店は終わっているし、コンビニで食料買おうとしたら、コンビニはないし、探しながら歩いていたらホテルまで行ってしまった。結局現在、町の駅側はさびれてしまったそうで、郊外の国道にバンバンとレストランやパチンコ屋など移転していたそうです。昔から刃物の町で栄えているようですが、今度はプライベートで行ってみたいと思います。ナイフ買いに。

東京にも浅澤さんがらっしゃいますが、なにせ数が少ない
昔、父親が「浅澤家」を23区電話帳で調べたら、
東京の電話帳には2軒しかありませんでした。
もう一軒の方は親戚ではなかったようですが、たぶんもともとは関西の出でしょう。

福井弁は不思議だ
福井に住む親戚のおじさん、おばさんたちが法事や東京観光でくることがあります。
言葉が独特です。大阪弁のいわゆる関西弁ではありません。京都弁でもありません。
年配の人ほど、福井弁がすごいです。
やたらと「うんにゃぁ、うんにゃぁ」と聞こえます。たぶん「そうだ、そうだ」
「ほーけ、ほーけ」はたぶん「そうなの? そうなの?」でしょう。
武生市に出張でいったとき、そばやでおろしそばを食べました。
となりに座ったおじさんが、超激福井弁で、「うんにゃぁ」を連発してました。

さっき 浅澤家の家訓 をつくりました。
1.モノを買う時は、なるべく業務用を買え。
2.芸事をたしなめ。(芸は身を助ける)
3.出掛ける時は写真を撮れ。

あの東京大空襲を逃げ惑いました。
3月10日 あぶなく一族全部死んでしまうところだった。門前仲町にある臨海小学校に祖母が幼児の母を連れて避難しようとしたら、守備隊の兵に「もう満員だから入れない」と追い返された。しょうがないので、爆弾と焼夷弾が降る中を越中島方向へ逃げ、国立海洋大学(当時の商船大学)の校庭に逃げ込んだら助かった。空襲が終わってから臨海小学校の脇を通ったら、学校に直撃弾が落ちて避難していた人は兵隊ともども全員黒こげになっていたそうです。ほんとにあった怖い話。いまでも3月になって東京大空襲のニュースや話題がテレビで流れると、ライブで体験した母親は「見たくない」といって逃げてしまいます。

現在の国立東京海洋大学


東京に長くなったので勝手に「東京本店」を名乗ります。
実は、福井県はゼネコン発祥の地で、飛島建設他、大手ゼネコンの創業者が生まれたところです。いまどき福井に本社があっても大きな仕事にならないので、東京本店というのがあって、それが実質的な本社だそうです。我が家も勝手に「東京本店」とさせていただきます。

東京の昔ながらの下町、深川と呼ばれるエリアに住んでます。
その前の60年前までは門前仲町に住んでいましたが、戦争直後に清澄町に引越しました。モンナカと森下の中間です。

都立清澄庭園という、江戸時代に紀伊国屋文左衛門がみかんで儲けた金でつくった庭園の縁に住んでます。窓をあけるとそこは清澄庭園の裏山。借景というやつです。
雪が降ったら眺めはサイコーです。これを知っているカメラ愛好家は、大雪の日には朝一番で、庭園開園と同時にカメラをもってやってきます。新聞に投稿写真で掲載されることがあります。

キッチンから見える家の裏側は、清澄庭園なので、このような緑が見えます。
落葉樹なので、冬はずっと向こうの池まで見通せます。
 



 

というわけで、
こちら清澄公園前 浅澤家(東京本店)
略して「こちキヨ」です
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浅澤家って? (浅沢家と書かれます)
忙しいときは略字で浅沢と書きますが、戸籍では浅澤です。よみは「あさざわ」です。
ちょっと前まではさらに難しい旧字体でした。
発音が難しく、仕事で初めてのところへ電話すると、たいてい「アサガワさんですね」といわれます。